沿線さんぽ

伝説の“笠縫邑”の候補地
寺社スポットを巡る

駅名のもとになった笠縫邑という伝説の地周辺を巡ってみた。

笠縫駅

大正12年開業。昭和59年に地下道と駅舎が完成し、ホームも延長。1人勤務駅としては当時かなり近代的な駅だったらしい。1日の乗降数は2964人(平成20年)。

秦楽寺

大化3年(647)、秦河勝の建立。百済王から聖徳太子に献上された千手観音像を、河勝が太子より賜わって安置したのが始まりという。境内には弘法大師が造ったとされる梵字池がある。
表門は珍しい土蔵門で中国風の造りが特徴的

笠縫神社

秦楽寺の境内に春日神社と並んで祭られる笠縫神社(写真右)は、『笠縫邑』の候補地の一つとされている。
阿字池/梵字の「あ」をかたどった池。弘法大師がこちらでお経を執筆中、池のカエルがやかましかったので叱ったところ、それ以来鳴き声が聞かれなくなったそうだ。

秦氏の末裔?

当時、付近は秦氏の居住地で、神楽や猿楽に関係する人が住んでおり、秦楽寺とは「秦の楽人」の意味とのこと。門前には金春屋敷もあったらしく、金春家は秦河勝の末裔と名乗り、世阿弥も末裔であると言われている。

笠縫邑とは?

日本書紀によれば、第10代崇神天皇が皇女の豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)に託して、宮中の天照大神を大和の地に移し祭らせた場所。檜原神社(桜井市)などの候補地がある。また、天照大神が伊勢神宮に鎮座する前に一時的に祭られたという神社や場所を『元伊勢』と呼ぶ。

本光明寺

廃寺となった勝楽寺跡地に明治31年(1898)、天理市の本光明寺を移し再興。勝楽寺は弘法大師の開基と伝えられ、現在も「八条のお大師さん」として親しまれている。
大和三楽寺の霊池「ばん字池」/本光明寺(勝楽寺)、秦楽寺、与楽寺(広陵町)にある弘法大師ゆかりの梵字池。それぞれ「ばん」「あ」「うん」の梵字を表わすとされる。

多神社

(多坐弥志理都比古神社) 
豪族多氏の祖・神八耳命を主祭神に祭る延喜式内社。古事記の編纂で知られる太安麻呂も同族で合祀されている。宮中の雅楽を司る多氏もこの一族の出身。

小杜神社/多神社の南側。もとはこちらの社に太安麻呂が祭られていた。

*この記事は2010年に取材した内容です