沿線さんぽ

記紀・万葉の里「忍坂街道」を
巡る歴史ウォーク!

伊勢街道と忍坂街道の中間に位置し、駅周辺には閑静な住宅街が広がる。記紀に記される神武天皇ゆかりの道「忍坂街道」から、御陵が点在する「奥の谷」を巡る。

大和朝倉駅

地域の人の足として1日に約2100人が利用。特急、急行通過の待避線があり、踏切の少ない立地から駅は橋上駅舎の構造を持つ。休日にはハイカーの利用もあり。

忍坂坐生根いくね神社

後方の宮山(忍坂山の一部)をご神体とした古社。少彦名命すくなひこなのみこと額田部氏あまつひこねのみことの祖・天津彦根命を祀り、拝殿北には神が鎮座するといわれる磐座いわくらがある。「石神さん」の名で親しまれ、地域住民の手で毎日灯明があげられている。

玉津島明神

祭神は稚日女尊わかひるめのみこと衣通姫尊そとおりひめのみこと。衣通姫尊はこの地に生まれた絶世の美女と伝えられ、その水を産湯に使うと美人になるという「産湯の井戸」の伝承が残る。

高円山 石位寺

地域住民によって守られる無住職の会所寺。白鳳時代の名品といわれる石造浮彫「伝 薬師三尊石佛」(重文)を収蔵庫に安置する。三尊は奥行のある表現で砂岩に浮き彫りされ、柔らかな笑みを浮かべている。

神籠石じんごいし

地元では「ちご石」の名で親しまれる大石。神武東征時に天皇がこの石を盾として矢を持ち、この地にいた八十建やそたけるを討ったという伝説が残る。

舒明天皇押坂内陵おさかのうちのみささぎ

国内初の八角墳とされる御陵。中大兄皇子の父、第34代舒明天皇と母親の田村皇女たむらのひめみこが合葬されている。

鏡女王押坂墓かがみのひめみこおしさかぼ

万葉歌人として知られ、額田王の姉という説のある鏡女王の墓。天智天皇の妃であったが後に藤原鎌足の正室となる。鎌足が病気の際に回復を祈り、後の興福寺となる山階やましな寺を建立したと伝えられる。

大伴皇女押坂内墓おおとものひめみこおしさかうちはか

日本書記に欽明天皇の皇女と記される大伴皇女の墓。延喜式には押坂内墓と記録される。ここから多武峯や音羽山(倉橋山)などの景観を堪能できる。
*この記事は2013年に取材した内容です